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- 明光電子とは
明光電子は
「早く」 「広く」 「深く」 が揃う
電子の統合商社
得意分野に特化した専門商社と、幅広いネットワークで多くの品種を取り扱う便利屋。
明光電子はこの相反する二つの強みを併せ持つ、唯一無二の統合商社です。
そんな当社がどのように誕生したのか、その歴史をご紹介いたします。
社名の由来
電子の会社になる
「明光電子株式会社」の社名の由来は、創業者である十川正明が、
自分の名前から「明」をとって、明るく、光り輝く電子の会社になるという決意のもとに、命名した。
明光電子の歩み
専門商社へ。
創業は、1979年(昭和54年)福岡市において、
IC及び電子部品の専門商社としてスタート。
最初の頃は、80%が輸入ICだった。
スタートにあたって、基本的な戦略を立てた。
ICや電子部品は幅が広い。
その広い各分野で「業界1位、悪くても3位までのメーカーと直接付き合う。かつ、それぞれが80%は競合しない。そうして基板上を網羅する。」
大手の場合、さまざまな商品を作っているため
多少のバッティングは仕方ない。
敵味方をはっきりさせることによって、新製品の情報、サンプル、
技術対応など、 納期、価格、品質、全てにおいて
深く一流のサービスを提供。
TDK、TDKラムダ、ローム、オムロンなど。更にそれを広げている。
その他、正式特約店でなくても直接取引している所は数多くある。
専門商社として、非常に良い仕入先をたくさん持っている。
当時の戦略図イメージ
ユニークな会社に。
本当は専門商社としていきたかった。
関東では両面持たないほうが、簡単に売上、利益につながる。
ところが、未だFAXもない時代、九州には秋葉原や日本橋がない為、
便利屋としてあれもこれもと何でも頼まれる。
細かく素早い対応が必要だった。
従って、たくさんの仕入先と幅広いネットワークを構築。
早く、広く、深く、専門商社としての顔と便利屋の二面性を持った、
非常にユニークな会社。なぜ、そうできたか。
あの時代の九州だからできた。
1980年代の大橋本社
誰にもつくれない。
創業当時の九州は・・・
市場規模が小さい。東京から遠い。市場からも遠い。技術が遅れている。
人々はのんびりしていた。実態がよく分からないし、
メーカーが営業拠点を出す魅力に欠けていた。
だから、直接話をすると話にのってくれた。
月5千円や1万円でも直接取引。海外メーカーも同じ。
九州には、輸入ICのことがわかる人間が非常に少なかった。
だからTI、アナデバなど、ほとんど直接取引だった。
今、海外系は代理店が非常に絞られたため、ほとんど2次店に降格された。
しかし、現在でも1次店経由で広く取引をしている。
ぎりぎりの価格勝負になれば負けても、納期では負けない。
世界中にも広いネットワークを張っている。
もう、こんな会社、誰にもつくれない。
それはなぜか。 電子業界が大きくなり特約店の条件が非常に厳しくなった。
①ノルマが非常に高くなった。
②特約店としての保証金が膨大。
③専門性の要求が高く、打合せや勉強会に非常に多くの時間をとられる。
従って、何十、何百と特約店を増やしていけば
営業する時間がほとんどなくなる。
④何でもわかる人間の育て方を知らない。
更に、この仕組みを支える完璧なリアルタイム在庫管理。
現在ではもう、こんな会社、誰にもつくれない。
九州時代(1998年4月)の入社式の様子
電子の統合商社。
このように、早く、広く、深くが揃うユニークな会社。
一流メーカーの商品、素早く幅広い対応。そして、
部品一式 → 実装 → 検査 → 組立まで対応できる電子の統合サービス業。
そして、九州から関東へ
2005年2月から関東の会社として本社を横浜に移動。
■しかし、基本は開発促進業
開発から一体となって部品一つ一つを選定し、サポートする技術の味方。
■もう一方で困ったことがあれば、あらゆる手を尽くしてサービスを提供
心強い購買の味方。
現在の横浜本社(受付)